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都会の人は本当に冷たいのか?
よく「都会の人は冷たい」という言葉を耳にします。
駅のホームで、ぜいぜいと荒い息をしているサラリーマンがいます。ベンチに座ることもなく、膝に手をついて肩を揺らしています。あなたはベンチに座っています。
あなたはこのサラリーマンを助けますか?
おそらく大多数の人が、助けると答えると思います。
ところが、実際にその場に立ってみると、そのサラリーマンにベンチに座るように薦めるどころか、見てみないふりをしてしまいます。
集合的無知によって起こる冷たさ
なぜ、見てみないふりをしてしまうのでしょうか? 単純に、都会の人は冷たいから起きる現象なのでしょうか?
そういうわけではないんです。まず、多くの人のなかで下記のような心理が発生します。
具合の悪そうなサラリーマンだな、でも、誰も話しかけてないから、ただの二日酔いかもしれないな
さて、このような思考を全員が行うとどうでしょうか。
当然、サラリーマンに手を差し伸べる人は一人も居なくなります。このような、「本当に具合が悪いのか決めかねる」ような曖昧な状況下で起こる無関心のことを、
集合的無知
といいます。都会の人の冷たさは、集合的無知によって引き起こされていると言えます。
殺人現場を傍観するだけだった人々
集合的無知が、研究されるキッカケとなった実際に起きた事件があります。
1964年に、ニューヨークで起きたジェノヴィーズ事件です。キャサリン・ジェノヴィーズは暴漢に襲われ、殺されました。事件発生当初は、女性は声を挙げるまもなく殺されたものと思われていたのですが、その後の捜査でとんでもないことが分かりました。
犯人はなんと、35分間の間に3回、逃げる女性に襲いかかっていました。
事件が起きたのは、住宅街のど真ん中でした。逃げ惑う女性の叫び声は、住宅街の38人の隣人の耳にも届いていたのですが、誰一人として警察を呼ぶこともなく、助けることもしませんでした。
彼らは、自宅の安全な窓から外から聞こえてくる悲鳴を、ただ聞いて、ただ見ているだけでした。
この事実を知った当時のマスコミは、「都会の人は冷たい」という記事を書いたそうです。
人数が多いと責任感が薄くなる
この理屈から考えていくと、都会の人が冷たいというのは、半分正解です。傍観者が多ければ多いほど、それぞれの人が、
「誰かがやるだろう」
と思ってしまうわけです。田舎は人口密度が低いので、自動的に傍観者は少なくなります。多くの人が居ることにより、一人ひとりの責任が薄くなることを、
傍観者効果
といいます。人が多ければ多いほど助けてくれるのではなく、人が多ければ多いほど助けてくれないということです。
自分が助けてもらうには
体調不良にせよ、殺人現場に直面したにせよ、周りの人に助けてもらうにはどうすればいいのでしょうか?
一番効果的な方法として挙げられるのが、
傍観者に役割を与える
ということです。例えば、駅でものすごく体調が悪くなったとします。ひょっとしたら、命に関わるかもしれない。そういうときに、
「助けて下さい」
と、ただ周囲に呼びかけただけでは誰も助けてくれません。正しい方法はこうです。
「そこの白い帽子を被った人、助けて下さい」
この瞬間に、目の前を通り過ぎた傍観者でしかなかった白い帽子を被った人間は、あなたを救助しなくてはならない救助者になります。一人に役割を与えると、後はその人が周りの力を借りて救助を呼んでくれます。
不特定多数の人間にではなく個人に助けを求めること
これが重要になります。いつ、病気になるか分からないので、これだけは知っておくといつか役に立つかも知れません。